切り倒された防風林のいま――美瑛「マイルドセブン の 丘」に立つ旅人が息をのむ、2026年の静かな現実
マイルドセブン の 丘に吹き抜けるオホーツクからの乾いた風は、かつて観光パンフレットを埋め尽くしたあの象徴的な並木の影を、すでに半分以上も連れ去ってしまった。北海道上川郡美瑛町。なだらかな波を描く丘陵地帯を抜けると、空の青さを切り裂くようにして立つカラマツの列が目に飛び込んでくる。だが、遠目にもその間隔が不揃いであることは明らかだ。1978年に放映されたタバコのテレビCMで一世を風靡し、タバコのパッケージ写真として日本中の記憶に刻まれたあの防風林の姿は、もはや過去の遺産に近い。それでもなお、スマートフォンのカメラを片手にした人々が連日この丘の前に佇み、木々の隙間からこぼれ落ちる斜光に静かに見入っている。
冷涼な空気が肌を刺すなか、雪解けの黒土と淡い緑が織りなすパッチワークを横目に車を走らせると、緩やかなカーブの先に広がるマイルドセブン の 丘の輪郭が、早朝の鈍い光のなかに浮かび上がってきた。観光バスのクラクションが響き渡るわけではない。巨大なモニュメントがあるわけでもない。あるのは、風に擦れ合う枝の乾いた摩擦音と、どこまでも続く農道の静寂だけだ。この場所に漂うただならぬ気配の正体を確かめるべく、2026年のいま、現地を歩いた。
消えたカラマツ並木と、畑を守り抜いた農家の苦渋
木が消えた。何本ものカラマツが、根元から切り倒されたのだ。
数年前、この丘を象徴していた並木の一部が伐採されたというニュースは、美瑛を愛する旅行者たちに小さからぬ衝撃を与えた。老朽化による倒木の危険や、病気による立ち枯れ。それが表向きの理由だった。だが、現場の農民たちが長年抱え込んできた胸の内は、それほど単純な話ではない。
美瑛の丘は、観光客のために作られたテーマパークではない。紛れもない生産現場だ。小麦、ジャガイモ、ビート。農家が日々の糧を得るための神聖な私有地である。そこへ、最高の画角を求める観光客たちが平然と靴を踏み入れた。足の裏に付着した見えない病原菌や害虫が、ひとたび土壌に入り込めば、その年の収穫どころか数年単位で農地が全滅するリスクを孕んでいる。幾度となく立てられた警告看板を無視し、三脚を畑に突き刺す人々の姿に、地権者がどれほどの絶望と怒りを覚えたか。景観を守ることと、作物を守ること。天秤にかけられた末の伐採は、叫びにも似た自衛の手段だったのだ。
「タバコのCM」を知らない世代が押し寄せる逆転現象
皮肉なことに、木が減っても人の波は途絶えなかった。それどころか、訪問者の層は大きく様変わりしている。
2026年の現在、ここを訪れる20代から30代の若者たちに話を聞くと、ほとんどが「マイルドセブン」というタバコ銘柄の当時の社会現象など知らない。昭和の高度経済成長期に流れたCMの残像を追っているのではないのだ。彼らが求めているのは、SNSで偶然目にした「完璧すぎない、引き算の美学」である。
情報過多の都市で暮らす若者たちにとって、まばらになった木々が夕焼けの空に落とす孤独なシルエットは、完璧に整えられた並木よりもはるかに切実で、エモーショナルに映る。かつてのブランドイメージは完全に剥ぎ取られ、風景そのものが持つ根源的な哀愁が、新しい世代の共感を呼んでいる。
オーバーツーリズムの傷跡――美瑛が下した「見せる観光」からの決別
丘の周辺を歩くと、数年前とは明らかに違う張り詰めた緊張感に気づく。
路肩への無断駐車を阻むロープ。外国語と日本語で厳格に引かれた立ち入り禁止ライン。町はかつての「来るもの拒まず」の姿勢を完全に捨て去った。美瑛町が打ち出した観光政策の舵切りは痛烈だ。観光公害とも呼ばれたマナー違反に対抗するため、地域パトロールの頻度は大幅に引き上げられ、違反者には厳しい目が向けられる。
「景観を売る町」から「農業を主軸に置く町」への原点回帰。それは観光収入に甘んじることを拒否した美瑛の覚悟でもある。アスファルトの端線から一歩も出ずにカメラを構える観光客たちの姿は、旅人が自然や農地に対して抱くべき謙虚さを、無言のうちに物語っていた。
冬の白銀と夕景、削ぎ落とされたからこそ際立つ造形
それでもなお、息をのむ瞬間がある。
陽が西の山並みに傾く薄暮のわずか15分間。空が藍色から茜色、そして紫へとグラデーションを描きながら溶けていく刹那だ。枝の数が減ったことで、逆に一本一本のカラマツが持つ力強い幹のねじれや、寒風に耐え抜いてきた樹皮のざらつきが、逆光の中に鋭角に浮かび上がる。
冬になれば、雪原が一切の人工的な凹凸を覆い隠す。純白の斜面に落ちる、長大な影の縞模様。装飾を削ぎ落としたミニマリズムの極致がそこにある。満ち足りた風景ではなく、欠落を抱えた風景だからこそ放つ、凄絶な気品。それを一度でも網膜に焼き付けた旅人は、並木が元の姿に戻らないことを惜しみつつも、今の姿に深い敬意を払わずにはいられない。
消費される景色から「共生する大地」へ――旅人に求められる倫理
風景をスマートフォンの中に「持ち帰る」ことばかりに執着する旅のあり方は、終焉を迎えつつある。
私たちが立っている足元では、雪の下で小麦の種が息づき、春の訪れを待っている。防風林は観光客のために植えられたのではなく、大雪や突風から農作物を守るための盾としてそこに根を張った。その本質を理解したとき、車を停める位置ひとつ、シャッターを切る距離ひとつにも、自然と節度が生まれるはずだ。
遠くから眺めるだけで十分ではないか。足跡を残さず、ただ風の音を聞いて立ち去る。その慎ましさこそが、美瑛の大地に対する唯一の礼儀であり、これからのツーリズムを形作る確かな背骨となる。
2026年の丘に立つ――何もない広大さに私たちが本当に見出すもの
黄昏が終わり、大地は深い闇へと沈んでいく。
防風林の隙間を吹き抜ける風が、カラマツの細い枝をかすかに揺らした。かつて栄華を極めた観光名所の肩書きは、風化とともに削り取られ、いまや生々しい自然と営農のせめぎ合いの現場だけがここにある。だが、そのありのままの不完全さこそが、虚飾に疲れた現代人の胸を強く打つのだ。
何も語らない木々と、どこまでも続く丘のうねり。美瑛の丘が私たちに見せているのは、消費されるための観光スポットではない。人が大地と共に生き、時に傷つきながらも折り合いをつけていく、静かでたくましい時間の堆積そのものである。 (出典: マイルドセブン の 丘(Yahoo!ニュース))