「OL」は死語か、それとも最強の自称か? 2026年のオフィスから考える「働く女性」のリアル
ol とは、もはや時代遅れの記号なのだろうか。それとも、今だからこそ強烈なリアリティを帯びる生活者の鏡なのだろうか。朝の丸の内や霞が関、改札を抜けてオフィスビルへと吸い込まれていく女性たちの足取りを見つめていると、ふとそんな疑問が頭をもたげる。1960年代に生まれたこの和製英語は、半世紀以上にわたって日本社会のジェンダー観や労働環境の揺らぎを一身に背負い続けてきた。
大企業の人事部がコンプライアンスやDE&Iの観点から言葉を慎重に選び、公式文書から排除しようとする一方で、SNSのタイムラインを覗けばol とはいったい何だったのかと問い直すかのように、「#OLの日常」といったハッシュタグが日々無数に消費されている。企業の管理部門が抹消しようとした呼び名が、当事者たちの間では独自のカルチャーとして軽やかにサバイブしているのだ。このねじれ現象の正体は何なのか。
「死語」と切り捨てられない理由――SNSで増殖する“自称OL”たち
形式上、企業組織の中で「OL」という身分は消滅した。だが、InstagramやTikTok、YouTubeを開けば、そこにはまったく異なる光景が広がる。出勤前のモーニングルーティン、デスクワークを快適にするガジェットの紹介、週末のご褒美ランチ。画面の向こうで微笑む発信者たちは、自らを迷いなく「OL」と名乗る。
なぜ彼女たちは、かつて女性を補助的労働力として括りつけたはずの言葉を、あえて自ら選び取るのか。そこにあるのは、企業から押し付けられた役割の受容ではない。「週5日、理不尽な組織で働き、日々の生活を丁寧に回す自分」に対する、ある種のアイロニーを込めた肯定感だ。「総合職」という肩肘張った看板でもなく、単なる「会社員」という無機質な響きでもない。OLという記号は、仕事と私生活のあわいで踏ん張る彼女たちにとって、最も手触りの良い“共感のプラットフォーム”として機能している。
BGからOLへ、そして一般職の解体――駆け抜けた60余年の変遷
時計の針を少し巻き戻してみよう。1963年、週刊誌『女性自身』の公募によって誕生した「OL(オフィスレディ)」という言葉は、それまで使われていた「BG(ビジネスガール=英語圏で娼婦を連想させる俗語)」を追放するための、言わば前向きな改称運動の産物だった。
高度経済成長期からバブル期にかけて、OLは「結婚退職までの腰掛け」であり、職場の花として扱われた。制服を身にまとい、男性社員にお茶を出し、コピーを取る。1986年の男女雇用機会均等法施行以降は「総合職」と「一般職」の分断が生じ、後者の代名詞として定着していく。しかし2010年代以降、一般職という雇用区分そのものがコスト削減やAIによる業務自動化の波に呑まれ、急速に姿を消していった。言葉の誕生から60年以上が経過した今、OLが指し示す制度的土台は完全に失われたと言っていい。
お茶くみ・制服文化の完全消滅と、2026年に残る「見えない壁」
現在、大手町や新宿のオフィスを見渡しても、指定の制服に身を包んで役員フロアにお茶を運ぶ女性の姿は、ほぼ絶滅した。ペーパーレス化と業務委託の浸透により、「誰にでもできる事務作業」を若手女性だけに背負わせる構造は解体されたはずだった。
だが、現場の空気は本当に晴れ渡ったのだろうか。「お茶くみは消えたけれど、会議の議事録取りや職場の雑務、飲み会の幹事役など、評価されないシャドーワークがなぜか若手女性に偏る」――都内のIT企業で働く30代の女性社員は、冷めた声でそう明かした。形骸化した悪習が消え去った代わりに、評価指標に乗らない「空気のケア」が依然として女性社員の肩にのしかかる。見えない壁の輪郭は、より巧妙に、より見えづらい形で残されている。
「会社員女子」を自嘲し、連帯する――消費トレンドを動かすハッシュタグの魔力
マーケティングの現場において、「OL」は今なお強大な求心力を持つ購買層のコードネームだ。オフィスカジュアル、時短コスメ、自己投資、ソロ活。彼女たちが生み出す経済効果は凄まじい。
興味深いのは、その消費動機が「男性ウケ」から「自愛」へと完全にシフトした点だ。昭和のOL雑誌が競うように特集した「愛されモテ服」は姿を消し、代わりに支持を集めるのは「一日中座っていても疲れない機能美」や「理不尽な上司の小言をスルーするための上質なノイズキャンセリングイヤホン」である。厳しい労働環境を生き延びるための装備を調達し、週末にささやかな贅沢で魂を回復させる。この連帯感こそが、現代のOLというワードに宿るエネルギーの根源だ。
企業の人事マニュアルから消える日、私たちは彼女たちを何と呼ぶのか
すでに多くの先進企業において、社内報や公募資料から「OL」の文字は完全に消え去った。「従業員」「アソシエイト」「メンバー」。性差を排除した中立的な言葉への置き換えは、組織のポリティカル・コレクトネスとしては疑いなく正しい選択である。
だが、制度の言葉が清潔になればなるほど、現場で働く人間が抱える泥臭い生活実感との乖離は広がる。「私たちは都合のいい多様性の数字合わせに使われているだけではないか」という現場の疲弊感。無味乾燥な肩書きで括られることへの小さな抵抗として、プライベートの領域で「OL」という人間味のある俗称を手放さない女性たちがいるのも、ある意味で必然と言えるかもしれない。
言葉の檻からアイデンティティへ――問われ続ける「働く女性」の輪郭
言葉は生き物だ。かつては女性を補助的立場へと縛り付ける「檻」だったOLという言葉は、時代の風雪に晒されるなかで意味を変容させ、いまや当事者たちが自虐とプライドを交えて使いこなす「アイデンティティの道具」へと変貌を遂げた。
キャリアアップを宿命づけられ、同時に私生活の充実も求められる現代。重圧に押しつぶされそうになりながらも、平日のオフィスを駆け抜ける彼女たちの存在感は、どんな杓子定規な社会批評よりもリアルだ。OLという言葉が完全にこの国から消滅するとき、それは単に記号が失われるときではない。この社会が、働く女性たちに「何か特別なタグ」を貼らなくても、一人の対等なプロフェッショナルとして自然に息ができるようになったときだけだ。 (出典: ol とは(Yahoo!ニュース))